BIGLOBEの「はたらく人」と「トガッた技術」

特別寄稿「時代が変わる2020年」vol.1 西寺郷太氏(NONA REEVES)

イノベーティブな取り組みや人物を紹介するメディア「BIGLOBE Style」では、新型コロナウイルスの感染拡大によって激変する今を捉えるべく、「時代が変わる2020年」をテーマに各ジャンルのゲストによる特別寄稿を掲載します。

今回は、NONA REEVESの西寺郷太氏に、自身の生活や創作活動を通じて感じた変化について寄稿いただきました。


「時代が変わる2020年」vol.1 西寺郷太氏


BIGLOBE Styleによる「BIGLOBE Style イノベーションミーティング2020」が渋谷のユーロライブで開催されたのは、2020年2月13日のこと(イベントレポート前編後編)。法律家・水野祐さん、陳暁夏代さん(DIGDOG代表)、リーマントラベラーの東松寛文さん、編集者・仲山優姫さん(コルク)らとともに、本業はミュージシャンでありながら執筆活動なども続けている僕、西寺郷太も声をかけて頂いた。ほぼ初対面同士のトークイベント。すでにこの時から、コロナの恐怖は忍び寄っていて無料であるにもかかわらず客足も予想の半分くらいに鈍っていた。

この時、僕が語ったのは「ポッドキャスト」の可能性。実は、Spotify公式で僕が4月から、ポッドキャスト番組「西寺郷太 GOTOWN Podcast」を毎週レギュラー放送することが決まっていたこともあり、キーワードに挙げたのだ。最後に「言葉の力が大きい、今までとは同じではいけないというすべての人にもたらされる『暗示』が必要、元号が変わったこともあって物事がここ一年で大きく変わるのではないか」と語り、その夜のイベントは終了した。今にして思えば「改元」だけでなく「コロナ」によって、世界は完全に変化してしまったのだが。

イベント翌日が、自分のバンド NONA REEVES の仙台ライヴ。ただ、結果的にソールドアウトとなったその仙台公演は、オーディエンスが密集するこれまで通りのライヴ・パフォーマンスができた最後の夜となってしまった。打ち上げでメンバーと一緒に「セリ鍋」を食べ日本酒を飲んだのが、遠い昔の想い出のようだ。本稿では、その日から今日に至るまでの自分の活動や思考の変化を振り返って徒然なるままに記してみたい。

僕が、最初に「これは今までの状況とは少し勝手が違うかもしれない、しばらくライヴ活動などできなくなるのでは?」と危険を感じたのは、大抵の日本人と同じく2月末あたりのこと。にしても、当初は3月の数週間活動を停止しさえすれば感染症パニックは収まるんではないか? と、今にすれば呑気な観測で……。「このタイミングでの休息を無駄にしない。自分をいい意味で変えよう!」などと異様にポジティヴな気分すら持っていた。

実はこの時期、46歳の僕は自分の人生史上最も体重が増えていた。「やるっきゃない by 土井たか子」などと独り言を繰り返しつつ3月頭から一念発起してランニングを始め、近所のジムでパーソナル・トレーニングを予約。ついでに友人の歯医者に歯のホワイトニングを頼み毎晩マウスピースをつけて眠った。結果的に半年が経った今、6キロ以上体重を落とし筋肉もつき、ジムの専属トレーナーには「西寺さん! ボディビルの才能、めちゃくちゃあります! 僕が教えてきた中でも一番マッチョになれる素質があります!」と絶賛されるまでに。ここにきて急に筋肉キャラに変更するなんて想像するだけで面白すぎるけれど……(笑)。

後、比較的時間があった今年上半期。ハマったのは Netflix で観た「フルハウス」(笑)。「フルハウス」は、1987年から1995年まで続いたアメリカの大家族を描いたシットコム(シチュエーション・コメディ)。ご存知の方も多いだろう。世界中で放送された大人気ドラマだそうで、日本では NHK教育テレビ(Eテレ)で、1993年から1997年まで毎週水曜日に全回放送されていたようだ。しかし、僕はその存在すら今年観始めるまで知らなかった。ただ、80年代末のアメリカで過ごす主人公的存在の少女ドナ・ジョー、通称「D.J.」が、時代ごとに部屋に貼っているポスター、アーティストなどの趣味が僕が夢中になったカルチャーにドンピシャで。ジョージ・マイケルやジャネット・ジャクソン。「アメリカの光GENJI」などと呼ばれたボーイバンド、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックがエピソードに登場したり。

「GOTOWN Podcast」で何気なく「今『フルハウス』にハマっている」と話したら「今更、『フルハウス』!? 郷太君、最高!」とリスナーに笑われたものだが、最も衝撃的だったのが二十年の時を経た日々を同じ登場人物で描くスピンオフ・シリーズ「フラーハウス」が2010年代半ばに制作され、つい最近まで現在進行形で放送されていたことだ。結果、僕は「フルハウス」について存在すら何も知らないところからスタートして、ぼんやり観続けていた3ヶ月くらいで演者達の幼少期から現在まで33年間の歩みをリアルに猛スピードで体感できたという訳。途中で急にドラマが現代に飛び、出演者が全員大人になった瞬間は腰が砕けるほど驚いた(笑)!

今年上半期の仕事。それはなんといっても西寺郷太としてソロ・アルバム『ファンクヴィジョン』を制作し、7月末にリリースしたことだろう。アルバムは、完全ステイホームでレコーディング。僕はもともと、一軒家の自宅の2階をスタジオに改装しており、デモの楽曲制作や執筆作業はそこで行っている。今回は、緊急事態宣言の中、4月、5月は外のレコーディング・スタジオもクローズしていたので、アコースティック・ピアノや生ドラムも含め自宅で何もかも作業を完結させるしかなかった。エンジニアの兼重哲哉君と共同プロデューサー宮川弾さんも自宅スタジオを持っているので、三者がそれぞれ自宅で制作した音源を持ち寄ってドッキングさせるようなイメージだ。
ただし、マスタリングというCD制作の最終作業だけは、ザ・ウィークエンド、フランク・オーシャン、ヴァンパイア・ウィークエンド、そしてデヴィッド・ボウイの遺作《★》でグラミー賞も獲得した世界最高峰のエンジニア、ジョー・ラポルタ氏に依頼。リモートで、ニュージャージーのスターリング・サウンドにデータを送信し、トリートメントしてもらうことに。例えば、ビリー・アイリッシュなども自宅で録音した音源で、世界的に愛されグラミー賞まで獲得しているわけで、これもまた2020年代的創作スタイルの理想。アルバムが完成し、ジョーから届いた音源をドキドキしながら初めて聴いた夜のことは一生忘れないだろう。

もともと、東京オリンピックが行われることを想定し、夏前から初秋にかけてバンドのライヴやツアーを行うことが困難になるという予想があった。海外から来る観光客でメンバーのホテルを予約するのもままならない、と。もちろん、結果的にオリンピックは延期されたのでそんな事態にはならなかったのだが、「バンドが無理なら西寺郷太ソロのタイミングにしよう」と1年前に決断していた事務所社長の判断には感謝している。そういう経営者、リーダーの「勘」や「運」って今回のパニックの中で相当試されたと思うので。

とはいえ、普段はスーパー・ポジティヴで気持ち悪がられている僕ですら、これだけ自粛やキャンセル、クローズや制限が続くとボディブローのような悲しみや喪失感に苛まれる瞬間も多い。企画するイベントやアイデアがどんどん潰されてゆくのだから、正直に言って精神的に凹む瞬間も初夏あたりから増えてきた。足繁く通った店のいくつかは閉店してしまったし、映画館やライヴハウス、エンターテインメント産業全般や、僕らミュージシャンも今まで以上に苦しい日々はこれからもしばらく続くだろう。

次の一手は何か? 様々なトライと執念と勘と運とひらめきの中で、長く広く、時には狭く深く……。自分自身にできるのは、音楽、そして今、文藝春秋digitalで連載している半自伝的小説「’90s ナインティーズ 」、「GOTOWN Podcast」も含め「送り手側が心から愛することができるコンテンツ作り」、それしかないかな? と。「フルハウス」のように発表から33年経っても、誰かを驚かせるエンターテインメントもある。今届く、そしていつか届く! 愛を込めた作品、コンテンツ作り。その上でテクノロジーの進化により、制作コストも下がりステイホームでの可能性が増えたことで生まれる良い意味での軽やかなテキトーさ! それが結局これからの鍵になるのでは? と。クリエイターとして、受け手として、そして一個人として……。コロナ渦の今、改めて強くそんな当たり前の結論を日々見つめるばかりだ。

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西寺 郷太
1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成したバンド「NONA REEVES」のシンガー、メイン・ソングライターとして、1997年デビュー。以後、音楽プロデューサー、作詞・作曲家として多くの作品、アーティストに携わる。日本屈指の音楽研究家としても知られ、近年では特に80年代音楽の伝承者としてテレビ・ラジオ出演、雑誌連載など精力的に活動。