特別寄稿「時代が変わる2020年」vol.4 橋口幸生氏(コピーライター)

イノベーティブな取り組みや人物を紹介するメディア「BIGLOBE Style」では、「時代が変わる2020年」をテーマに各ジャンルのゲストによる特別寄稿を掲載します。
今回は、コピーライターの橋口幸生氏に“いま、広告には、「正義」が足りない。”と題し、変化を迫られる広告の現状について寄稿いただきました。

「時代が変わる2020年」vol.4 橋口幸生氏

いま、広告には、「正義」が足りない。

最近の社会情勢を論じるとき、「分断」という言葉がよく使われる。「左」と「右」、「男性」と「女性」、「白人」と「黒人」。なるほど確かに社会は様々な立場に分断され、歩み寄りが難しくなっているようにも見える。

しかし、今この世界を蝕んでいる本質的な分断は、「正義」と「悪」のそれだと筆者は思う。

「正義」。こんなことを言い出すと、嘲笑する人が多いのかもしれない。なぜか日本人は正義が大嫌いだ。多くの人が訳知り顔で、「正義の反対は、もうひとつの正義だ」とニヒルに語る。「正義」にロクに関心の無さそうな人が、なぜか「正義の暴走」は心配する。

「大辞林」で「正義」をひくと、「正しい同義。人が従うべき正しい道理。」とある。社会に理想を持ち、理想に近づくよう努力する態度と解釈することもできる。

いま、日本で「正義」とされているもののほとんどは、ただの同調圧力だ。例としては自粛警察が分かりやすい。彼ら/彼女たちが本気で新型コロナを憂いてるわけではないのは、誰でも分かる。その主張は「みんな自粛しているのに、お前はなぜしないんだ!」とシンプルにまとめられる。

「正義」と「悪」の分断は、今のところ「悪」が優勢だ。「正義」で社会を前進させようとする者に対して、「悪」は「世の中、こんなものだよ」「綺麗事を言うなよ」と冷笑する。「正義」はうるさくて、暑苦しい。一方、「悪」はクールで余裕がある。どうしたって「悪」に分がある。バットマンよりジョーカーのほうが魅力的で、人気者なのだ。

広告の世界には、「ソーシャルグッド」と呼ばれる動きがある。モノを売ったり好感度を高めたりするだけではなく、社会を良くすることを目指す広告をこう呼ぶ。代表的なものをいくつか紹介しよう。

「フィアレス・ガール」は、ニューヨークのウォール街にある「チャージングブル」前に設置された少女像。金融会社「ステート・ストリート・グローバル・アドバイザーズ」が、ビジネスにおける女性の地位向上を訴えるために設置した。金融の象徴であり、男社会の象徴もある雄牛に敢然と立ち向かう少女像。その姿に自分を重ね、励まされた女性が大勢いたことは想像に難くない。

バーガーキングは、LGBTQのシンボルである虹色のパッケージにつつまれた限定商品「プラウドワッパー」を発売した。しかし、中身は、ふつうのワッパー。「どんな人でも中身は一緒だよ(WE ARE ALL THE SAME INSIDE)」というコピーが印刷されており、性的マイノリティへの理解を訴えている。

「広告」という言葉から、美男美女のタレントが歌って踊るCMを連想していると、面食らうかもしれない。現状、世界の広告賞では、「ソーシャルグッド」の要素が無いものが上位入賞することは難しくなっている。

こうした潮流がはじまったのは、筆者の記憶によれば、2007年に遡る 。ダヴのテレビCM「エボリューション」が、世界でもっとも権威のある広告賞「カンヌ広告祭」でグランプリを受賞したのだ。CMでは、ふつうの外見の女性が、フォトショップ加工で別人のようなセレブ風美女に変えられてしまう様子が描かれる。キャッチフレーズは「私たちの美の概念が歪められているのも、無理はない」。ビューティーのブランドが、広告の美がまがいものであることを告発する衝撃的な内容だ。

しかし、当時、日本での受け取られ方は、冷ややかなものだった。「賞は獲れても、商品が売れるわけがはない」と嘲笑する人が大半だったように記憶している。恥をしのんで告白すれば、筆者もその一人だ。ソーシャルグッドで賞を取る広告の大半は、現場で制作される「買って!」を連呼する広告とはあまりにかけ離れて見えた。また、日々そうした広告を作っている自分を、ソーシャルグッドを否定することで肯定したい気もちも、正直あった。

ダヴはその後も「リアル・ビューティー・キャンペーン」と銘打って、「エボリューション」の路線を継続。2013年には「リアル・ビューティー・スケッチ」というウェブ・ムービーを発表した。ひとりの女性につき、2種類の似顔絵が描かれる。一つは、自分の容姿についての、自分自身のコメントに基づいた似顔絵だ。「顎が尖ってる」「おでこが広い」など、ネガティブなコメントが大半で、似顔絵もそれを反映したものになる。もう一つは、自分に接した他者のコメントに基づいて描かれる。こちらは自己評価とはうって変わって「すっきりした顎のラインが素敵」「かわいい鼻ね」など、ポジティブなものばかり。似顔絵も比べ物にならないくらい魅力的なものになったのだ。キャッチフレーズは「気づいてください。あなたは、自分が思うよりも、ずっと美しい」。


ダヴ: リアルビューティー スケッチ | あなたは自分が思うよりもずっと美しい

そして2017年、フランス政府は、広告のモデルの体形を加工した場合、その旨を明記することを義務付ける新法律を施行した。日本にも多くの利用者を持つアメリカのフォトストックサービス「ゲッティイメージズ」も、体形を加工した画像の掲載を禁止した。「エボリューション」からわずか10年。筆者が広告賞向けの打ち上げ花火と揶揄していた「ソーシャルグッド」は、現場で実践される段階に入ったのだ。

そして2020年。ただでさえ混乱の最中にあった社会は、COVID-19(新型コロナウイルス)をきっかけに底が抜けてしまったように見える。本来なら「正義」の規範となるべき社会のリーダー、影響力のある人々が、その役割を果たそうとしていない。「差別を無くそう」「貧困を無くそう」「マイノリティの権利を認めよう」そんなメッセージをかかげるより、「そんな甘いもんじゃないよ(笑)」と冷笑する人のほうが拍手喝采される。人々は社会を前進させることに疲れ、開き直って現実を受け入れることを選んだように見える。

しかし、不思議なもので、個人は開き直れても、広告はそうはいかない。芸人がバラエティ番組で差別的なギャグをやったところで、大目に見てもらえる。テレビ局が「誤解を与えたなら申し訳ない」とでも言えば、あっというまに沈静化できるだろう。しかし、広告はそうはいかない。みんな広告は建前で、綺麗事だと分かっているからだろう。

それならば逆手に取って、広告はどこまでも建前や綺麗事を突き詰め、「正義」を目指すべきだと思うのだ。いや、筆者ごときが指摘しなくても、世界の最先端ブランドは、とっくにその方向性に向かっている。

ナイキの広告は一貫して多様性を支持している。今年7月に公開されたCMでは人種、宗教、ハンディキャップの有無を超えて人々がスポーツに打ち込む姿を、驚異的な編集技術で紹介。「世界をより良い場所にする」と宣言した。


You Can't Stop Us | Nike

マイクロソフトはハンディキャップのある人専用のゲーム・コントローラーを開発。子ども達がプレイする様子をスーパーボウルCMとして公開し、絶賛された。近い将来、ハンディキャップのある人が、e-スポーツのチャンピオンになる日も来るだろう。

海外の事例ばかり紹介してきたが、日本も負けてはいない。

宝島社は「嘘つきは、戦争の始まり」というキャッチフレーズの新聞広告を掲出。実際に嘘が原因で起きた戦争の例を挙げて、「今、人類が戦うべき相手は、原発よりウィルスより温暖化より、嘘である。」と訴えた。

ケンドリック・ラマーは来日公演のポスターで日本政治を批判した。森友・加計学園で問題になった黒塗りの公文書をモチーフに取り上げ、”DAMN.”(畜生)と切り捨てたのだ。

中高生に地毛証明書の提出を求める校則に対して、パンテーンは広告で「#この髪どうしてダメですか」と議論を呼びかけた。

広告ごときが「正義」を訴えたところで、何も変わらないのかもしれない。でも、これは変わる、変わらないの問題ではなく、やらなくてはいけないことなのだ。

COVID-19の影響で新作映画が公開されない中、映画館では「ダークナイト」が再上映されていた。終盤、ジョーカーはバットマンにこう告げる。

「俺たちは永遠にやりあう運命にあるんだぜ」

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橋口 幸生
電通 コピーライター。最近の代表作はガーナチョコレート、スカパー!堺議員シリーズ、「11月11日はポッキーの日。ではなく、ポッキー&プリッツの日です。」(プリッツ)、鬼平犯科帳25周年記念ポスター、のどごし夢のドリームなど。『言葉ダイエット』著者。TCC会員。 趣味は映画鑑賞&格闘技観戦。