きっかけは俳句。”じぶん事問題”としての地球温暖化

  「BIGLOBE Style」では、「SDGs」に関する社内外のトピックスもご紹介していきます。今回は、ライターのおのれいさんが、気候変動と俳句について執筆しています。

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まさか俳句に熱中するとは

社会人になってから、俳句を詠みはじめた。日本文化を知りたいという思いからまず飛び込んだのが俳句の世界だったのだ。

これまでの俳句経験といえば、小学生の頃に「運動会の感想を俳句で詠んでみましょう!」という企画で
「がんばって 走り抜けたよ 運動会(季語は運動会)」
と詠んだのが最後であったが、今では俳人歴も4年目に入り、40歳ほど年の離れた仲間たちと俳句を嗜む「句会」に参加する程、熱中している。

大人になってからの俳句はなかなか面白い。
その時の状況・景色・感情・未来への思いなどを17文字に納めるのだから、うんうんと頭を悩ませることがほとんどだ。しかし、ぴたりとハマる言葉に出会うまでの時間も俳句の楽しみといえる。
その趣味の俳句が、趣味以上の「気づき」を与えてくれたのは突然のことであった。

 

 

季語「銀竹」をきっかけに、気候変動を考える

ある日の句会で「銀竹(ぎんちく)」という言葉に出会った。
はて、銀竹? 銀色に光る竹? ということは、かぐや姫が眠る竹か?
季語辞典を引かないことに多少の後ろめたさを感じながらもGoogle先生に頼ったところ「氷柱(つらら)の異名」とあった。(※激しく降り落ちる雨粒を指すこともある)

初めて知った言葉に胸を踊らせながら「確かに氷の柱が冬の朝日に照らされた様は、銀色に光る竹とも言える程の美しさなのだろうな。その氷柱が溶け始めてポタポタと地面に打ち付ける音が聞こえたら素敵だな〜そんな風景を見てみたいな〜」と思いを馳せていた。
すると、同席していた先輩方が「最近は氷柱を見掛ける事もなくなったね」「昔はよく『氷柱が落ちてくると危ないから軒下は歩かないように』と言われたもんだ」と、口々に”氷柱のある日常”を懐かしみはじめた。

そうか、氷柱が日常的に存在していた時代があったのか。
だとすると、その美しい日本の風景が消えてしまったのは何故だろうか。
と、銀竹をきっかけに次々と興味が広がっていった。

 

 

東京の平均気温は100年間で3.1度も上昇している

東京の平均気温の変動を調べてみると、結果は納得のものであった。
東京における冬の平均気温は、ここ100年のうちに約3.1度も上昇している。加えて、冬日(1日の最低気温が0度未満)の日数は、100年前の約3分の1以下程度にまで減少しているというのだ。それなら「銀竹」を見ることも減るに違いない。

 

 

▶︎東京管区気象台の季節ごとの平均気温の経年変化

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▶︎東京管区気象台の冬日日数の経年変化

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(出典:気象庁「気候変化レポート2018-関東甲信・北陸・東海地方-」より)
https://www.jma-net.go.jp/tokyo/sub_index/kikouhenka/index.html

 

氷柱は、昼夜の気温差があること・夜間の気温が氷点下であることを条件に発生するそうだ。となると、そもそも冬日が極端に少なくなった現代の東京では氷柱が発生する可能性は低いと言えるのだろう。この氷柱消失は東京に限ったことでもなさそうだ。
2020年2月、埼玉県「秩父三大氷柱」とも称される観光名所が暖冬のため閉園に追い込まれた。

(出典:一般社団法人秩父観光協会 「ぶらっとちちぶ」より「三十槌の氷柱 2020初年度は閉園」)
http://www.chichibuji.gr.jp/misotuti2020/

 

俳人仲間がなんとなく肌で感じていた”銀竹の消失”が実際に証明されたことに驚いた。それと同時に、季語になるほどに日本を象徴していた風景を知らず知らずのうちに失っていくことへの危機感を感じた。

思ってみればこれまでの句会でも「10月なのにたんぽぽが咲いていた」と驚きを共有する人や、「この植物はもうこの季節には咲かないね、季語が表す情景と現実がかけ離れてしまった」とどの季節を表す季語として詠むべきか悩む人がいた。それらの原因も恐らく地球温暖化を含む気候変動なのだろう。

 

 

じぶん事の問題になった「気候変動」

私が生まれた頃に、日本における環境政策の根幹を定める法律「環境基本法」が施行された。その事もあってか私の世代は幼い頃から「気候変動」や「地球温暖化」という言葉をよく聞いていた。むしろ聞きすぎて、どこかで「地球における前提」と思っていた気もする。しかし、知らず知らずのうちに日本の日常風景を失っていると思うと、危機感を感じざるをえない。

俳句をきっかけに、”気候変動”という漠然とした「地球レベルの問題」が、日常の風景を守るための「じぶん事の問題」に変わった。それからは、エコバックとマイボトルを常に持ち歩くようにしている。それ以外にも、不要な電気は付けず太陽光だけで過ごしてみたり、暖房のスイッチを入れる前にもう1枚防寒着を着込んでみたり、とほんの小さなことではあるが確実に行動が変わった。

きっかけはそこら中に転がっているのだ。そして、環境保護の目的は「私たちの地球を守る!」なんて壮大な必要もなく、「30年後も春に桜が舞う様を見たい!」だとか「秋の訪れを知らせるのは金木犀の香りがいい」といった些細なことでいい、そう思えた経験であった。

もしまだ環境保護のために何をするのが良いのか、漠然とした疑問があるのだとしたら、「何をきっかけに、どのようにじぶん事の問題に変換することができるか」を考えながら、自分の周りを見渡すことから一歩を踏み出してみてはどうだろうか。

 
(文:おのれい、編集:中山明子)

 

<BIGLOBE社員の編集後記>

地球温暖化という言葉はとても頻繁に耳にするものだけど、じぶん事として感じることは意外と少ない。確かに冬が短くなったような気がするくらいの実感はあるけれど、コラムにあるように、平均気温で3.1℃も上昇していると聞くと現実的な問題として浮かび上がる。3℃と聞くと大したことないようにも思えるけど、たとえば、自室でエアコンを3℃上げ下げするというのは、身体にも相当負担がかかる。そういう現象が地球レベルで起きているのだと考えると恐ろしく思う。

地球温暖化を阻止することは、残念ながら当社一社でどうにかなる問題ではない。地球に生きているすべての人の少しずつの協力が必要になる、まさに世界的プロジェクト。その中で当社でも何かできることはないか。それを模索していきたいと思った。