BIGLOBEの「はたらく人」と「トガッた技術」

パソコン通信「PC-VAN」を育て上げたレジェンドが語る新サービス創出の秘訣!

こんにちは。BIGLOBE Style編集部です。

今日では社会インフラとしてあらゆるシーンで日常生活を支えるインターネット。その中でBIGLOBEは安心・安全な接続サービスを30年以上にわたり提供しています。

そのBIGLOBEサービスの前身がパソコン通信サービス「PC-VAN」です。1986年からサービス開始、会員数100万人を擁する日本最大のパソコン通信サービスの一つでした。その後BIGLOBEにサービスが統合されましたが、PC-VAN時代に得た技術、知見、そして文化は今のBIGLOBEの中でも脈々と受け継がれています。

今回はそのPC-VANの立ち上げ期からサービスを作り上げ、BIGLOBEでも接続サービスを長く牽引してきた海老原 三樹(えびはら みき)に、PC-VAN立ち上げから拡大までのストーリーや、その中で培われたBIGLOBEのDNAについて、熱く語っていただきました。

海老原 三樹

※撮影時のみマスクを外しています。

IT黎明期のバブル入社世代。新サービス「PC-VAN」に魅せられて

―――まずは海老原さんの経歴について教えてください。


1989年(平成元年)にNECに入社しました。新人配属されたのがVAN販売推進本部(後にPC-VAN販売サービス本部となる)で、入社直後からPC-VANサービスに携わってきました。PC-VANがBIGLOBEに統合されサービスを終了した後も、NECからの分社、独立の歴史の中で一貫してBIGLOBEの接続サービスに携わってきましたので、私の社歴はPC-VANとBIGLOBEの歴史とイコールと言えると思います。

海老原 三樹

海老原 三樹 (えびはら みき)

1989年4月入社
コーポレート本部  渉外室  渉外グループ エグゼクティブエキスパート

―――今回は海老原さんのキャリアの中で、特にPC-VANに注目して話をお聞きします。インターネット以前の通信サービスということで、今の若い方には想像しにくいかもしれません。海老原さんが新入社員だった頃の社会や、NECを取り巻く状況はどのようなものでしたか?


当時はバブル景気(1986年から1991年にかけて起こった好景気の通称)の真っ只中で、経済も会社も成長を続けていた活気あふれる時代でした。コンピューターや通信技術の進化も目覚ましく、私はそのトップ企業の一つだったNECで最先端の仕事がしたいという希望で入社したんです。

当時の状況としては、1985年に「PC-9800シリーズ」が発売され、国内トップシェアの人気でした。とはいえ当時のパソコンは使いこなすには知識が必要で、しかも高価でしたので、ワープロの方が出荷台数の多く、普及はこれからという状況でした。

社会状況として大きかったのは通信の自由化です。1985年の法改正で、独占されてきた通信事業への新規参入が可能となり、NECでもVAN(Value Added Network)事業を立ち上げ、企業向けの高速・安価で付加価値の高い通信サービスを提供開始しました。

PC-VANはVANの回線の有効活用を目的に、パソコンを利用する個人向け通信サービスとして、1986年にサービス開始しました。


―――そんな時代の転換期にPC-VAN販売サービス本部に配属された訳ですが、希望して配属されたのですか?


入社するまではPC-VANは知りませんでしたが、入社後の研修で存在を知り、「こんな面白そうな新しいサービスがあるんだ」と感じて配属希望を出しました。入ってみて感じたのは「何でもやらせてくれる組織だな」ということです。当時は会員数5万人程度、社員も20名程度と限られていましたので、新人といえども否応なく現場第一線に立たされた、とも言えるかもしれません(笑)

海老原 三樹

―――当時の状況や業務内容はどのようなものでしたか?


サービスは開始していましたが、器はあってもサービスの中身はこれから、といった感じだったでしょうか。VAN事業でBtoBサービスの経験はあっても、BtoCは未知の領域で、手探りの状態だったと思います。

私の最初の業務はPC-VAN事務局として、問い合わせの電話を受ける仕事から始まりました。確か社員3人で、交代で電話番をしていた記憶があります。当時は入会申込書のご請求や、接続できないなどのトラブルの電話も多くありました。利用者一人ひとりで接続環境が違うので、的確に答えるのは難しかったですが、お困りの方の声を直接聞いているので、何とかしなくてはという熱意も湧きましたし、相当勉強もしました。

蓄積されたノウハウをマニュアルに還元したり、お客さまの声から、例えば入会から接続までをアシストする設定ソフトを作ったり。そうやってサービスを一歩一歩成長させていく過程が楽しくてしょうがありませんでしたね。

お客さまの声を聞き、自らも使って改善点を探る日々。当たり前に使えるサービスを目指して

―――NECという大きな会社にあって、個人の利用者の方からの電話を受け、それを自らサービス改善につなげていくという業務は稀有だったのではないでしょうか。


そう思います。今でも大活躍されている著名なミュージシャンの方からの電話を受けた経験もありますよ。当時は音楽関係の利用者も多くて、音楽データのやりとりや、CUG(Closed Users Group)というクローズドの掲示板やOLT(On-Line Talk)というチャット機能での情報交換にPC-VANはよく利用されていたようです。社会のいろんな場面で自分たちのサービスが使われている実感が、素直に嬉しかったですね。

また耳の不自由な方が、コミュニケーション手段としてPC-VANを利用されていることを知って、サービスに対する認識を改めました。楽しい・便利である以上に、生活基盤として当たり前にサービスが使えるレベルに持ち上げる必要性を強く感じました。

こういった利用者の目線でサービスを俯瞰して改善していくモチベーションは、第一線で利用者の声を聞き続けたこの頃の経験で培われたと思います。


―――特に心掛けていた姿勢や仕事の進め方は、何かありますか?


利用者の方のニーズを捉えるために、PC-VANのサービスは全部自分たちで使うことを、組織全体として心掛けていました。新しいサービスを出す時のバグ出しやテストも全員でやっていましたよ。

人数が少なかったこともありますが、全員が広範囲の業務(企画、開発管理、サービスリリース、広報、拡販など)を行っていて、お互いの業務への理解が深く、アイデア出しなど、全員で話し合う時間も多かったです。

当時はもちろんインターネットもありませんし、必要な情報は自ら動いて取りにいくしかありません。ライバル企業との情報交換会もやりましたし、米国や韓国のパソコン通信サービスを自ら調査したり、拡販のために秋葉原の電気街の店頭に立つこともありました。必要だと思えば積極的に外に出ていきました。

海老原 三樹

―――立ち上げ期の苦労はありましたか?


会員数がなかなか増えない時期は苦しかったですね。パソコンが高額な上、当時は電話回線で接続していたのですが、電話代も従量制ですので、電話代が数十万円かかってしまうこともあります。モデム等の付属機器も必要で、誰もが使えるサービスではない中で、何とか裾野を広げようと、パソコン出荷時に入会ソフトや設定ソフトをバンドルし、パソコン通信を紹介するようなリーフレットにも力を入れました。パソコンを購入した人がPC-VANの会員になってもらえるように、工夫を重ねる日々でした。

他社のどこよりも早く、良いサービスを出すことがモチベーションに

―――PC-VANは1992年には50万人、1994年には100万人と会員数を伸ばしていきました。その頃には多数の先進的なサービスに挑戦していたそうですね。


時代背景から言うと、1990年のWindows3.1の出現は大きかったです。企業での導入が進んだことも相まって、パソコンの個人ユーザーも格段に増えていきました。その頃はライバル他社のどこよりも、早く良いサービスを立ち上げたいという思いでした。海外のパソコン通信との接続や、モデム(Aterm)へのメール着信表示機能の追加、各種データベースやニュース、官公庁情報などの多数の情報提供なども行いました。

1994年にはPC-VANのインターネット接続も開始し、それまでのテキストベースのサービスから、一気にグラフィカル中心になっていきました。1995年にはWindows95が発売され、PC-VANの会員数も100万人を突破、インターネット接続も開始されたこともあり、利用者層が一気に広がっていきましたね。

誰もが簡単にインターネットに接続できて、安心して利用できて、便利に生活にも役立つ。そして全世界とつながれる。そういう世界を目前に、他社よりも先に、他社とは違うトガったサービスを出したいとサービスの充実に努めました。


―――PC-VAN時代のお話を聞くと、新しいサービスを生み出すために、チャレンジを惜しまない勢いを感じます。根幹にある精神はどのようなものだったでしょうか?


入社した当時は、PC-VAN事業は特別プロジェクトとして位置付けられていましたので、将来の会社の成長戦略の柱として投資対象となっている分、早く利益を生み出せる事業部に成長したいと組織全体の思いがありました。

その上で、他社のどこにも負けないサービスを作るという意志と熱意があったと思います。自らPC-VANのサービスを使い倒し、あるいは親や友人、またお客さまから忌憚のない意見をもらい、サービスの課題を掘り起こしました。そういう意味では「サービス愛」はとても重要だと思います。

海老原 三樹

BIGLOBEのDNAは、自ら楽しみ、利用者が幸せになるサービスを創り出す意志と熱意

―――今のBIGLOBEを見て、社風の変化をどのように感じていますか?


当時と比べて、サービスの数も、会員数も、BIGLOBE事業に関わる人数も大きくなりました。一概に比較するのは難しいですが、当時はそれぞれの担当の「顔がみえる」というか、誰に何を相談すべきか明確でしたし、各自の業務範囲が広いのでディスカッションの深掘りができました。今は各サービス担当の中での議論は多いでしょうが、関係者のみの内向きにならないように、組織や立場を超えた対話が重要かと思う場面はあります。

BIGLOBEはこれまでも、新規事業や新規サービスのチャレンジを重ねてきました。もちろんBIGLOBE以降も成功ばかりではなく、うまくいかなかったサービスも多々あります。たとえば動画配信ポータルサービスの「BIGLOBEストリーム」、写真投稿サービスの「RingReef」、コンテンツ制作者への金銭フィードバックが可能な投げ銭サービスの「ポチ(Pochi)」といったサービスは、今メジャーとなったネットサービスを先取りした試みだったと思います。

結果として継続できなかったにせよ、社員は新サービスの苦労も失敗も厭わなかったし、会社も社員に新しいビジネスを考える視野と、挑戦する精神を求めてきました。その社風はPC-VAN時代から脈々と培われてきたものだと実感しています。

そして今も新規事業の創出は会社の重要なミッションですし、「新サービス創出プログラム」や、「デザインシンキング研修&ビジネスコンテスト」などで、新しい事業開拓への啓発活動を行なっているのはとても意義あることではないでしょうか。

つなげることができる世界から、つながって当たり前の世界で、何を創造していき、いかに楽しく心地よい社会を実現できるかを考える面白さがあると思います。


―――新しいサービスや事業を創出する難しさに直面している若手社員へのアドバイスはありますか?


今のBIGLOBEは、既存事業で培ったノウハウを、新規事業に活かしていく「二軸運営」を追おうとしていて、アイデアを形にできる面白いフェーズにあると思います。その中で自分がどう動いていくかが重要です。今の若い方はPC-VAN時代の自分たちよりずっとクリエイティブで、知識も豊富だと思います。あとはどれだけの熱意と意志をもって新サービスに向き合えるかも重要になってきますね。

今までPC-VANやBIGLOBE事業を作ってきた自分が言えるとすれば、いつの時代であっても、新しいサービスを作るのは、特異でスキルがある人ではなく、普通の人の普通の感覚だということです。

私自身文系出身ですし、特に専門知識もない普通の若手社員でした。自分を含めた普通の人が、普通に心地よく過ごせる術を考えていくことに、新サービスを考える起点があると思います。またそうした知見やノウハウはBIGLOBEで働く人々のDNAに受け継がれています。まずは自分自身が楽しんで、常に新しい発見をしていくことを士気に変えていただければと願っています!


―――貴重なお話をありがとうございました!

海老原 三樹

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